2017/5/5 趣味の古代史 知立(ちりゅう)の語源の推測 【知立神社】
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<2017 愛知県知立市 知立神社>


自分が住んでいる鳴海から見ると
知立というのは東隣の宿場町だ。
ヨメさんの実家も知立なのでなじみも深い。

でも、知立(ちりゅう)ってどういう意味なんだろう?
まったく思い浮かばない。
「池鯉鮒」と書かれた時代もある。
その昔は「智立」と書いていたらしい。

語源についてネットでいろいろ調べてみても
諸説入り乱れ今一釈然としない。
その中で一番しっくりきたのにアイヌ語説というのがあった。
アイヌ語で低い湿地帯を意味する「チリップ」という言葉が語源だという。
知立の名物は「かきつばた」
これも湿地に生える花なので妙に納得してしまった。
きっと、稲作に適した土地だったのだろう。

このことを人に話すと
たいていの人はここにアイヌ人が居たのかと驚く。
たぶん、
アイヌというより縄文人だったのだと思う。
DNA解析が進化して、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だということがわかっている。

札幌サッポロがアイヌ語で「乾いた広い土地」
小樽オタルが「砂浜の中の川」
それと同じわけだ。

弥生人とともに西からやってきた稲作文化は
東海地方まで来てその先の深い森に阻まれて東進が停滞したと言われている。
この地方はいわば、渡来の弥生人と先住民の縄文人が接する
異文化交流の最前線だったと自分は推測している。

移民と先住民というと、争いがあった印象を受ける。
遺跡を調べると、確かに争った痕跡も多少あるが
多くはうまく共存していたことがわかっている。
弥生の集落に縄文の痕跡がない例はひとつもないらしい。
一緒に暮らしていたのだ。
共存 あるいはこれが日本人の本質かもしれない。

知立神社は東海道の三名社のひとつに数えられた古い神社。
遠い昔
この神社の元になったこの地の王様は
先住民の「チリップ」の土地に稲を植え、一緒に暮らし
移民からも先住民からも慕われ羨まれ人望を集めたのだろう。
だから今、それが目の前に残っている。

そんなことを考えていた。



三澤武彦









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by misawa_now | 2017-05-07 15:58 | 趣味の歴史・古代史・考古学 | Comments(0)


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