1/9 家族写真の出張撮影    【名古屋城で】 
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<α900+Sigma 20mm F1.8 EX DG ASPHERICAL 開放>


遠方から撮影に来てくれたので
せっかくだから名古屋城に行ってきました。

旦那もボクも歴史物が大好きなんです。



さて、
「尾張名古屋は城でもつ」
といいますが、
名古屋城というのは、一体どういうお城なのでしょう?


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現在の名古屋城の広さは、たかが知れております。

そして、かつての城下町の広さは鉄道の線路からおおよそ見当を付けることができます。
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江戸時代が終わり明治になって
城下町の西の外れの田んぼの中に名古屋駅が作られ東海道線が走りました。
中央線は城下町を迂回するようにグルッと大回りしてゆきます。
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この範囲が名古屋の城下町でした。

名古屋城の当初の計画は、北は庄内川・矢田川を防衛線として
西は枇杷島橋 東は矢田 南は古渡までの範囲を堀ですっぽり囲む計画でした。
(城の北側&庄内川の南側は低地の湿地帯で、のちに水田地帯でした)
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工事途中で豊臣家が滅亡したので、必要がなくなり中断したままになってます。
完成していれば周囲約25キロの特大の城。
豊臣大阪城が周囲8キロ 江戸城が周囲16キロだから察しがつくと思います。
もし、豊臣側と戦(いくさ)になった時に、
数十万という兵を駐屯させることを考えて、この規模が必要だったのでしょうね。

尾張のもともとの中心地は清洲の城下町です、信長がいたところね。

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清洲城はもともと川の中州にあって、
西から敵が来ても、東から敵が来ても、川で守られた良いお城だったのですが
とても小さな城下町で(南北約800m×東西約200m)、大軍を駐屯させることが出来ませんでした。
それで名古屋城が計画されました。
城下町は清洲が丸ごと引っ越してきました。
広い地図を見ると川の配置から、敵が西から攻めてくることを想定して移転したことが良くわかります。

尾張名古屋は城でもつ
名古屋って、ほとんど何もない場所にゼロから作られた軍事的に計画された町なのです。
江戸より大きな城(町)に1/10以下の人口・・・
(1600年頃の江戸の人口10万人 清洲の人口1万人)
簡単に言うと、城しかない・・・

・・・・
そういう町のはずれに暮らしながら
いろいろな家族の歴史を写真におさめる仕事をしています.

おしまい

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by misawa_now | 2012-01-09 22:08 | 旅する写真屋 家族写真 | Comments(2)
Commented by かすみん at 2012-01-12 22:01 x
尾張名古屋は城でもつ

緑区鳴海は 三澤でもつ

Commented by Kazuhiro O at 2012-01-12 23:14 x
勉強になりますわ~!!
完全に計画された都市だったんですね( ̄▽ ̄)


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